ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

剣道上達日誌(0)

ブランク剣士の稽古について綴っていきます。中年剣士は早く上達したいと焦っています。剣道を離れた時間を埋めたい。焦っても始まらないとはわかっていても焦ってしまう。焦燥中年剣士ブログ、今後、同じ思いを抱えているの皆さんの参考になれば幸いです。そしてアドバイスをいただければと思っています。よろしくお願いします。

少し長めの剣道私略暦

小学校3年 地域の野球チームに所属していたが辞め、ごく親しいおばさまの勧めで近くの警察署にて嫌々剣道を開始。うさぎ跳びとか、手押し車とか、そういう基礎トレーニングばかりで、面白くなく、完全なる劣等生。ふざけて怒られ、最初から最後まで正座をさせられたこともあった。K先生の丸太ん棒のように太い腕にびっくりした。

小学校4-6年 地元に道場新設。厳しい稽古は嫌だったが、上達することが実感できた日々。一つ上の学年は層が厚く、いつも追いかける立場は向上にもってこいの環境だった。

中学1年 初段合格

中学2-3年 剣道に明け暮れた。今度は2つ下の学年の層が厚く、特にKくんは高身長で打ちが速く強かった。今度は追われる立場で強くなれたと思う。小さい大会での優勝経験は数あれど、大きい大会ではあと一歩で頂上には届かなかった。しかし沢山の貴重な体験をした。思い出深いのは、TM先生に連れられた厳冬期の箱根での試合。どこまで勝ったか忘れたが、TM先生をはじめ先生方、保護者の方々が私たちに試合経験を積ませるために努力されていたことに後で感謝する。我が道場はある法人の付属施設である。その会社にKSK大学から新卒4人の女子選手が就職した。中学生の男子が強くなっていくには、女子の一流選手は良い稽古相手だと思う。剣道の強い姉貴分との稽古で多くのことを学んだ。また、今後紹介したいが、ある書籍との出会いが私の剣道を変えてくれたと思う。結局、中学生での最高成績は東京都個人ベスト8。それでも高校進学時には、高校総体、玉竜旗で名を馳せるTN高校、NE高校などから特待生入学を打診された。形の無い武勇伝。本当のところ勉強と剣道を両立したかった。東京で両立できるところは私立SG高校だった。若干学力が足りなく受験しなかった。後悔先に立たず。

高校時代 弱小都立高校にて頑張ってはみた。

高校1年 弐段合格。

地域の大会では3位入賞くらいはできたし、地元の警察から参加していた高校時代群馬県代表選手に勝ったり、そこそこ強豪高校にも負けはしなかった。しかし、全国に繋がる大会では成績を残すことはできなかった。気持ちを込めた3年生時の総体予選では3回戦負け、とにかく国体選考選手を目指したが足りなかった。勝った選手は国体に行った。出身道場でも稽古をした。我が道場、全国からメジャー選手が良く来た。選手権、都道府県、国体・・・枚挙に暇が無い。大きい試合の前に来る選手は皆怖かった。奈良代表の国体青年団体選手が一番怖かった。大阪P高校のWI選手とも天覧試合前に稽古した。道場の一番端だ。構えた瞬間に小手を打たれたことを今でも思い出す。すげーの一言。

高校3年 参段合格

高校卒業で一旦ピリオド。自分自身、そこそこ剣道が巧いと思っていた。しかし、前述の通り如何せん、うちの道場は先生をはじめ、出稽古の方々も一流選手ばかりで浮かぶ瀬がなかった。やっぱり褒められないとだめなのだ。

大学時代 剣道なし。学生時代は今の職業に繋がる活動に専念し余裕がなかった。

大学院時代HKD大教員チームとして大会への参加を打診され稽古を再開。3ヶ月ほどに過ぎなかったが、週一くらいで稽古したのが1995年。まだまだ体が動いた20才台半ば。ネット時代ではなかったため、札幌東区の広報で稽古会を見つけ参加。I高校剣道部(そこそこ強豪)の先生に見初められ?高校生の相手をすること多々。まず稽古で負け意識を持たされることは無かった。打ち負け感も全くなし。そんなに錆び付いてはいなかった。そこから大人の剣道に軌道修正していけば良かったものを。

大阪時代 2004年 12年ほど間を空け再々開。SS会に3回、MS屋さんに1回参加させていただいた。MS屋さんのOT大OBのST先生は、私の剣道を高く評価してくださった。継続したいと考え、手刺の小手も購入。しかし仕事の都合で長期間大阪を離れ、徐々にフェイドアウト。

2006年 やっぱり剣道が好きなんだと思う。剣道日本と剣道時代は立ち読みし続けていた。ある号の表紙に、恩師TM八段が載っていた。それを見て剣道がやりたい。意を決しS協にて再々再開。今は亡きNGT先生に始めて稽古を見ていただい時、相当できるな、剣道で良い成績残しているのかと言われた。自信になったが、またしても出張の壁。さらに 職場の交通手段の制約で通えず。若手が多いこの団体、なかなか活気があった。剣道具一式を購入も、質が低かった。

2007年 中高校意識していた同期生MTくんの記事を剣道時代で見つける。彼はTKB大学大学院を経てSK大学教授。東西対抗、都道府県、教員大会など、輝く戦歴。いても立ってもいられずメールしてみたところ、大阪で飲む機会を持ってもらった。ほぼ同年代の大阪KFの事務局次長も同席され、モチベーションが高まった。

意を決しただけに一番近い稽古環境、職場の大学でも稽古の機会をいただいた。大学剣道界は上下の繋がりが緊密でそこに入っていくには、たとえその大学の教員とはいえ、敷居は低くない。しかし揺るがなかった気持ちは強かった。受け入れていただいた剣道部にも感謝である。この際、MTくんにも尽力してもらった。我が大学の世界大会優勝のKB師範に手紙をしたためてくれていた。この年の3回生とは本当に良く稽古をした。夏の自主練にも参加させてもらった。大学時代の剣道経験の無さを補うように必死でついていった。しかし40歳手前の体力では同じメニューをこなすことはできなかった。この夏の厳しい稽古により、確実にステップアップできたと思う。

 2009年 現在に続くOK大出身のTR先生率いるAB教に移籍。TR先生の基本動作の美しさには定評があるがその戦績も実はすごい。それにこの道場は全日本選手権優勝者も出している剣道名門IM高校OBOGが中心に運営されている。親切な先生方は、皆勤にはほど遠いブランク剣士でも、あたたかく受け入れてくださる。TR先生は、私の基本打をとても褒めてくださる。嬉しいのでもっとがんばろうと思う。自分で言うのは烏滸がましいのだが、基本の美しさは我が古巣道場の特徴でもある。2011年末に久々に足を運んだが、我が後輩の剣はやはり美しいと感じられた。

2010年 ニュージーランド出張に剣道具を持参したかったが諦め、短い素振り竹刀を購入し、頑張って振ってみた。なんと素振り竹刀の購入時のくじ引きで1等賞。裏に新素材を使った稽古着をいただいた。東京渋谷SK堂。今は違うが昔、うちの道場の出入り業者さんだった。この年は充実した稽古ができている。

2011年 2月に行なわれる大阪の都道府県予選に一度くらいはエントリーしてみようと前年から考えていた。負けて当然、そこに属したいという気持ちで備えた。しかし科研費に関する会議がバッティング。足下を見つめ、自分の本業は剣道から離れて掴んだもの。ここで剣道を選択してはいけないと思い、諦めた。苦渋の選択でもう機会はないだろう。年も年だし。

四段合格(26年ぶりの昇段である)

東京五反田SB堂で最高級の機械刺剣道具を購入した。高校時代に通った剣道具屋さんだ。今は我が古巣の出入りの業者さんでもある。仕事は丁寧。さらにメンテも行き届き、剣道具師INさんは新しい剣道具の着装を確認するために稽古をつけてくださった。本当に良い剣道具、剣道具屋さんである。

2012年 長期出張にも竹刀を持参しほぼ毎日素振りをした。年間稽古回数約40回(少ない)。もう少し増やしたい。すばらしい仲間を得たAB教、昨年来参加させていただいている学区の稽古会。そして、これからは堺で最も高段者が多く集まるM会にも参加させていただこう。

 

2012年12月17日記