ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

剣道上達日誌(38)

M会

ST先生八段

右手でまわし込むような面打ちになっていることがある。まっすぐ斬り込むようにご指導いただいた。この点はAB教KD先生からもご注意いただいていた点である。今回のご指導でまたもやこの点が指摘された。直し方も理解できているので大丈夫だと思うが、その面打ちも効果を発揮することがある。しかし相面時に回り込む軌道では先に打てない。自分で意識できていないことが問題だが、相手次第で使い分けることも課題となろう。まずは無意識の面が左手主導になるべきであることは間違いない。

KM先生八段

構えはとても良い。しかし打ち込む間合いが不安定である。稽古を積んで覚えていくしかない。また自らのリズムの時は良いが、リズムが狂うと全体が崩れる。常に安定感を持ち崩れないように。感覚的にはわかっていたことではある。言葉にしていただいたことが収穫である。

MM先生八段

言葉でのご指導はいただけなかったが、稽古を通じ、最後の面をいただいたことが何よりのアドバイスである。最後の面は、短いやり取りの中で虚をつかれた格好だった。KM先生にご指導いただいた今、MM先生と間合いのやり取りを振り返るといち側面は理解できる。中心をとって攻めるのは常道と思われる。しかし、自分の打ち間になった時に打っていないのならば、攻めの意味も無いに等しい。単純に攻めるのではなく、攻めはその先の打突を成功させるためにあるのだ。結果を伴わない私の攻めを先生はどう解釈されるのか。今後もっと稽古をお願いし、結果を伴わせ理解していきたい。

 

これからできる限り稽古をお願いし、見取り稽古をさせていただき、その眼の覚めるような打突と体さばきを学ばせていただきたいと思った。

それと今日改めて考えたのは発声である。何も語ることはできないが、余韻のある発声=残心なのではないか?と思った。