ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

剣道上達日誌 131211(45)

SE稽古会(SS高校)

11月の剣道八段審査(東京)にて、本稽古会のNS先生が合格されました。本日は祝賀会を控えた稽古会となりました。

(審査当日ー審査において抜きん出ること、他の人と一緒では目に止まらない=渾身の声を出す。技前には自信。相手を研究することはむしろマイナス。出たとこ勝負。それは日々培った技前があるから。何時何を打突したか覚えていない)(日々の稽古ー前日SDKにて課題を見つけるー翌日SE稽古会で課題の克服実践に努める)(稽古前にランニング、準備体操、すぶり)

SD先生、KU先生、HD先生、SD先生、FN先生にお願いした。久々の稽古になので、ABN道場でMO先生からご指導いただいている合気の剣道が通じるのか、深い咳が続く体調は最悪の状態でしたが楽しみでもあったわけです。結果的にKU先生、HD先生、FN先生とは、対話が実感できました。

ここで課題が見つかった。これは以前から問題だったことです。

構えるー気持ちを高めつつー相手も同様ー攻める気持ちを伝えるー伝わる(伝わらない)ー相手は動きを見せるーそれを読むー読めたならば躊躇せず打突

当然、これらはシームレスである。

このような過程を互いに意識していれば、相面になりどちらかに軍配が上がることもある。小手をきれいに決められることもあるし、胴だって抜かれるし、抜くこともできる。基本の打突ができるのであれば、勝負は運だ。

しかし、上述の過程のどこかで意識が他に行った場合、確実に不意をつかれたような状態になる。それはまず集中力の問題だ。持続させなければならない。もう一つは、センスといったらそれまでだが、相手の攻めを理解できない場合(攻めておらず反射的な打突なのかもしれないが)、不意をつかれた形になる。ともあれ、空虚な状況に陥ってしまってはならない。反射的な打突、考える必要がある。SN先生曰く、『TG先生は何時打って来るかわからない』(悪い意味ではないようだ)。私こそ合気ができていない証か?SN先生との稽古は合気の意識がまだ薄い頃の稽古なので、そうだったのかもしれない。今は違うとも言えない。しかしそうである必要もなかろう。つまり色を見せない打突は合気の相手の虚をつくことができるのだから。相手を尊重しつつ、合気、時に裏切り。そういうことなのかなぁ。

臨機応変さも必要だ。だれしもが合意形成を優先さえる稽古をしてくれるわけではない。がんがんと攻め入って来る相手に気後れは許されない。そういう相手にも合気を求め、実践できるか。とはいえ、攻め入る能力に長けている相手には、打突を許すことになる。やすやすと許すわけにはいかない。異口同音、攻める。ということだろう。だからなんなんだ。またも解はなし。