ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

剣道上達日誌 140403(18)

予習ーいつでも出る攻める状態を作り、打突と返しの同一状態(?)。返し技のバリエーションを増やす。

SDK道場

前回の反省のもと大先生とだけの稽古となった。シンドイ稽古だった。

MM先生の基本

先の種類・審査で評価が高くなる面とは?=打ち間に入って止まって、面ではなく=スーっとん(解釈が難しい)

相手の気を察知する先々の先となるのだが、実はしっくりきていない。スーっとんを私なりに解釈すると、攻め入る、相手はその挙動に応じて動こうという、そのところでこちらが面ということだろうか。ただ入って面ならば基本打に過ぎない。少しのずれは後の先ということになろうか。

八段の先生3人にいただいた稽古から考えて見ようと思う。

多くの先生にご指導を頂きながら、先について考えてきたが、先生によって私の剣道の評価が異なる。これまでも今日もそうだ。

範士SD先生

『竹刀を動かし過ぎだ、守るな、せせこましい』との評価(あーガクンと来た)。思い当たる節、SDK先週の金曜日、自分から入れ!を自分なりに解釈し、竹刀で竹刀に触れることで気持ちを察知し、払い、巻き、押さえなどで中心を取り、捨てて面、を心がけていた。この竹刀の動きは間違っていたのだろう。度が過ぎたのか。稽古後、またも同じことを言われる『良い剣道をするなぁ。もったいない。』またもや、もったいないの評価、もったいないはだめだ、腐ってしまっている食べられなかった、過去形の表現なのかもしれない。稽古最後に面打ちを数本、小手面を数本、『そんなに良いものを持っているじゃないか』。結局、私は打ち込みができるレベルで、まともな稽古になっていないのではないかと思った。一方・・・

教士NG先生

迎え突きを何本も入れられたが、先生が頭を下げて打たれたと表現されたことも何度もあった。終了後、『厳しい攻めをしている。良い剣道だ。』心が折れかかっていたので率直に嬉しかったのだが、こうにも違う評価になるのか。

教士TH先生

『良くなったぞ。』稽古の終わりにそのように言ってくださった。一回の稽古、最初と最後を比べてのことだ。TH先生に対しては他のお二方よりも捨てて打つことを実践できたと思う。

OT先生曰く『打たれっぷりが良くなければならない。それが審査に通る秘訣だ。』。今日のSD先生との稽古は打たれっぷりが悪かったのだろう。しかし、打たれてばかりで、打たれっぷりが良くなりすぎたら、打たれ過ぎはしないだろうか。

さて、先にもどる。三人三様のご評価。先生方の剣道観の違いか?もしかすると、先の意味が剣道界で統一的に解釈されていない可能性もあるのではと思えてきた。