ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

上達日誌 140731(38)

KBT道場

剣道を再開して7-8年になり、この間、自らがどのように変化してきたか?今、様々な方々と稽古することで見ることができる。自分の実力はともあれ、打たれたくないがために、またビビリで不要な動きをしていた時期、そこから少し脱して無駄な動きが減った時期、たぶん今は合気を求め、打たれることにあまり頓着せず、相手を攻め動かす時期。こんなんで良いのか?今後、変化が確実にあります。

ともかく、それでも打たれると悔しい。打たれ癖は勝負を諦め易くする。

最初は年配の先生で稽古開始当初はこちらのある程度あるスピードで圧するも中盤では動きを読まれ後半で勝負。最後も違いの読み合いの中で数本打たせていただいたが、なんと言うのか理合が整ったのかと問えば、そうではない。次、七段受審直前のこの先生はここで一番楽しく稽古ができる(ほかの先生方はまた違った形、反省、勉強、落ち込みなど、色々ありがたく稽古をしていただく)。それは動ける若い高段者と稽古をすると自分の能力以上の力が出せる気がする。かかる側は楽で、精一杯頑張るからどうにか一本取れることもある。最後の一本は先日の試合で取った面と同じ、小さく合わせて叩き割る感覚の面。先生は納得されたが更に数本を重ねた。その後、最後の稽古で初期の時期の自分にやられてしまった。よく取られる小手に中途半端に出て体勢を崩した時に面だ。ここで冷静に思った自分も自分だ。というのは、お相手こちらの攻めで右往左往。これって昔の自分だっと思ったのある。

だから、そこは悔しい。「打って反省、打たれて感謝」たしかにそうなのだが、打たれても良いなんて気持ちでの稽古は実にならない。しかし打たれないようにしていたら、捨て身の打突はできない。