ornithkendorist's blog

剣道上達日誌ーブランク20年中年剣士の奮闘譚ー

稽古日誌 160427(24)

YSK道場

MB先生

気を張ってよく見て関係を作った。攻め入ってほんの少しの溜めで打突が叶うこと数回。間合い切る際で攻めて来られるので、返して面、上手くいった。

Y-ST先生

若く攻め込み面が理想的に方。こうなりたいと思う。確かに攻めて入っての技は、あまり良いところがなかった。しかし間合いの切り際の引き小手、小手刷り上げ面などは決まったと思う。頂いたコメントは、返し技は良いし、守りは良い。しかし攻めての技がもう一歩。それができる様になれば、ガーッと良くなるよ。と。

SiT先生

あの面を持っているのだから、ただ攻めて面ではなく、一旦下を斬って面、小手を攻めて面などのバリエーションを持つように。今回も攻めて左に抜ける胴も有効だろうと。左右の攻め打突も効果的に使えるはずだろう。

Xさん

長身の方。面を小手に二回、きっちり合わせられた。波長が合わない難しい。こういう方との稽古が重要。

稽古日誌 160425(23)

YSK道場

NT-STさん(教士七段)

リズムで打つ、意味が分かったのでした。溜めが足りないのです。前回は、ぼろぼろだったが、リズム感を少し捨てるよう意識することで、少し上手く攻められたと思う。

EL-STさん(教士七段)

引き出してくださる。それも対等にしてくださる。その中での関係性の構築はありがたい。最後の一本は突きを攻め浮かせて小手を決めることができた。

感覚で行けの言葉を他の方からも聞いた。考えるの触刃だけ、そこから見ない考えない。まだしっくり来ないが、修行というのはそういうものかも、とも思った。

稽古日誌 160422(22)

YSK道場

MB先生(範士八段?)

やはり近間で技を繰り出される。

THさん(教士七段)

踵を上げ気味に攻める。パタン化している。良くない。しかしそこを攻められないんだと、反省されていた。攻めて下に竹刀がいくとき小さな三所防御のような形になるとのご指摘。それをされると入れなくなるとのこと。この防御は良くない。改善のこと。攻めているつもりでも動かすことができない。どうしたろうかしゃん。

STさん(教士七段)

攻めて攻めて一拍おく、そこを打たせて返す稽古をしなさい。左に抜ける胴も私には適した技だとご教示いただく。下に攻めた時に上げて小手が空く。リズムリズムリズムで打ちにくる。見透かされたら終わり。

稽古後、師範のKT先生ともう1人の先生に師範室の呼ばれる。「良い稽古してたな」とお二人揃ってお言葉をもらう。「良かったよ」と繰り返される。困った。そんなに褒められるとだめな時が怖い。AKでの試合に出ようとTHさんが、仰り、師範の先生方もそれに呼応される。「泊まりで飲みだよ」とTHさん。師範の先生は。「早く着替えて一緒に飲もう」と。私、道場から自宅が近いので道着と袴を家から着用しての通いになっていまして。今日はお断りせざるを得ませんでした。ともかく嬉しいお言葉の数々。なんだか、この由緒正しい道場の仲間にしてくださったような感じで、とても嬉しいでのした。

稽古日誌 160420(21)

YSK道場

STさん(教士七段)

だめだめでした。反射は十分良い。それは咄嗟の時に出せるから大丈夫。普段の稽古でそれは良くない。それに研究されたらすぐに見透かされる。つまり、しっかり機会を考え相手を見て攻めて打突するのだということ。今日はだめだった。そんな稽古ならもったいない、とのお言葉。

IZさん(教士七段)

OSの剣道は強いなぁとのお言葉。

HMさん(五段?)

外間からがんがんくる。久々のこのタイプ。取り合えず合わせてみた。

遠くから見ていてくださったもう1人の佐藤さん(教士七段)は、今日は調子狂ってるみたいだな。考えないで、感じていけ。その方がいい。うちの写真飾ってあるあの先生もそう言っていた。次回、やろう!と。嬉しいお言葉です。でも、考えて納得の打がしたいんです。半々でいくか。

追伸FBにそぐわないのこっちにしとく

昼の憩い。剣道ネタ。
SPに来て、既に6回の稽古という有り難い状況。最近の稽古では、良い打突を心がけてはいるものの、勝ってやろうとかという感情がほとんど無くなりました。良いことなのか、どうかは?試合では合気とかなんとか、言っている場合じゃないから、剣道をすることの意味合いが異なり、その点でも今述べることは当てはまらないか。ともあれ、相対して気合いを入れて互いの気持ちを確認する。合気といえば良いのか。たとえば、私よりも遥かに上手のかたとの稽古。ですが、私と対等にして下さる場合。呼吸、目の動き、体のちょっとした変化、神経を研ぎすましながら察知して、打突に行く。かなりの頻度で相面になり、時して小手を合わせたり合せられたり。上手の方に感謝以外なし。一方、というかまた、同様に上手、しかし関係性がまったく異なる場合。ほとんど相面はない。少し遅れた突きを下からえぐる様に突き垂の下に潜り込ませられることとが多々になったり。かと言って、変な感情は待ったないので。そうされないような機会に打っていたかったこっちが悪い。これも感謝が当てはまる。それはそれで、このような類似ケースで、稽古後に仰ったことがあったのは、「起こりがまったく分からないから面を打たれたよ」、とのこと。正直、この方もかなりの腕前で尊敬できる方。そうなのですが、途中から心の動きと言うか、それが分かり始めた。あぁ、これか?アハ体験や。この感覚の経験を積めば、納得の攻めと打突、捌きと打突、それが叶ってくるのかなぁ。札幌の6回で掴みかけていることでした。抽象的に書こうとしたものの・・・

稽古日誌 160418(20)

YSK道場

YS先生(範士八段)

打突の意識は左手の小指。前に出すのではなく、そのまま上げ、打突する。前に出さなければ強く、速い打突が叶う。稽古後、私の剣道に対し「これから楽しみだ」と、嬉しいお言葉を頂いた。

SIさん(教士?七段)

だいぶ迎え突きを頂いた。機会ではなかったのだろう。一度、お相手が小手を打とうとしている心が読めた。誘いだったらと迷いがなかった訳ではないが、確信も持てた。実際に小手を打ってこられた。相小手面と決めていたので見事に奏功した。面で決めたつもりだったが、私の小手ありと判断された。稽古後、「起こりがまったくわからないから面を打たれたよ」と。

STさん(教士七段)

離れ際の小手二本。勉強になりました。一本は会心の面が打てた。それは呼吸を読んで攻め引き込み攻めて引き込みで、引き込み際、少し裏切る形で攻めて面。稽古後、「良い稽古になったよ。ありがとう。またよろしく」とこれまた嬉しいおことば。

稽古はしていないが、YCからの方が「ずばっと打ち込む良い剣道をしますね。是非とも次回稽古をお願いしますよ」と、またまた嬉しいお言葉。OSでがんばった甲斐があります。ほんとSPは稽古環境が良い。週二回強ペースの2週目、竹刀が軽く感じ、肩甲骨の動きがとても良く感じる。調子が良いんだろうな。